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マンネリ化した毎日から脱却するためウガンダへ?!商社を飛び出しロールモデルのいないキャリアを楽しく歩む

マンネリ化した毎日から脱却するためウガンダへ?!商社を飛び出しロールモデルのいないキャリアを楽しく歩む

酒向 幸枝さん
酒向 幸枝(さこう ゆきえ)さん
住友商事に新卒で入社、資源開発の営業・事業投資などに 9年間携わる。 2018年に退社、マーケティング関係の仕事をフリーランスで行う傍ら、2023年にウガンダのドネーションツアーに参加し衝撃を受ける。コンゴ民主共和国の学校建設やスリランカでのチャリティー花火大会の企画などに携わりながらマーケティングの知見を活かしたキャラクタービジネスでの新たな世界平和事業の確立を目指す。

アフリカで学校を建設するなど、社会貢献活動に取り組む酒向幸枝さん。さぞ慈善事業に携わる人生を送ってきたかと思いきや、つい1年前まで、ボランティアや社会貢献活動には全く興味がなかったと言います。商社の営業として忙しい日々を過ごしていた彼女が会社を辞め、「世界平和」を目指してロールモデルのいない新しいキャリアを歩み出したのは、なぜだったのでしょうか。

9年間の商社生活を飛び出し、マーケティングの世界へ

−まずは酒向さんのこれまでのキャリアについて教えてください。

大学卒業後、住友商事に9年間在籍していました。最初の6年間は資源開発の営業・事業投資の仕事で、うち2年間はウランの生産量が世界一であるカザフスタンに駐在していました。後半の3年間は、ガラスや洗剤の原料など化学品の担当となり、アメリカからの輸入を行っていました。そして2018年の夏に会社を退社し、半年間は仕事を何もせずに過ごしました。

−会社を辞められた理由は?

スタートアップ企業で働く友人や、起業する友人が周囲にいて、彼らの仕事のスピード感が眩しく見えました。大手企業は良い面もたくさんありますが、決裁に時間がかかったり、社内の報告書の作成が必要だったりと、仕事を進めるのに時間がかかってしまうジレンマがあったんです。副業で何かを始められるほど器用な性格ではなかったので、一旦辞めて自分のやりたいことを探そうと思いました。

−9年間もいた会社を辞めるのは怖くはなかったですか。

当時は清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちでしたね。でもこのままズルズルと働き続けたら死ぬ時に後悔するなと思い、決断しました。

−辞めた後の半年間はどのようなことをされていたのですか。

世界一周をしたり、プログラミングを勉強したりと、様々なことにチャレンジして、自分のやりたいことを探していました。でも会社を辞めたその日にたまたま友人から経営者たちが集まる食事会に誘われて、あるコンサルタントに出会ったのが転機になりました。その方はマーケティングの知識を使って潰れかけの会社を建て直したり、収益を急激に上げたりしているという話を聞いて、もの凄く興味を持ちました。半年間他のことを探してみたけれど、やっぱりマーケティングを学んでみたいと思い、その方に弟子入りすることにしました。その後1年間は、その方からマーケティングを学びながら、知り合いの経営者に営業し、マーケティングのコンサルティングを担当させてもらって実績を積みました。

−マーケティングを学ぶのであれば、マーケティング会社に就職するという選択肢もあったと思いますが、酒向さんは個人事業主のままやられたのですよね。それはなぜだったのでしょうか。

9年間の会社員生活で、会社員には向いていないと思ったんです。それにマーケティングを教えてくれた方が、1時間のミーティングや移動中の数分の電話で言ったアドバイスで、収益が一気に上がるのを目の当たりにしました。会社員の時は働いた時間に対して給与が支払われる感覚がありましたが、知識とスキルがあれば、短い時間でも、どこにいても、価値を生み出せるのだと気づいて。もしそれが自分も出来れば、人生の自由度がもの凄く上がると思って、その道を選びました。

−短い時間で成果を出せるようになるまでには、苦労もあったのではないでしょうか。

マーケティングの勉強を始めてから1年間は、勉強と仕事だけに集中しました。友達の誕生日会があっても、30分だけ行って帰るくらい。やっぱりご飯を食べていけなくなる恐怖は凄くあったので、必死でしたね。でもそこで知識と経験値を積んだことで、自分の力で食べていける、自分の力で誰かに貢献できると思えたのは大きな自信に繋がりました。

ボランティアに興味はなかった。刺激を求めて訪れたウガンダで受けた衝撃

−そこから「世界平和」に関心を持たれるようになったのは、何がきっかけだったのでしょうか。

2023年、マーケティングの仕事が軌道に乗っていて、刺激がなくなっていた頃でした。たまたま友人が世界の子どもたちに教育機会を提供する日本寄付財団の事務局にいて、5月にウガンダで支援した学校を訪れるドネーションツアーを開催すると聞きました。これまでボランティアに関心があったわけではなかったのですが、現場に行ってみたらどんなものか分かるだろうし、行ってみたら新しい何かが見つかるかも、という直感や期待もあって、ドネーションツアーに参加することにしました。
※ドネーションツアーとは:財団によって建設された施設や教育機関を訪れるツアーのこと

−いきなりウガンダに行くということに抵抗はなかったですか。

学生時代から留学経験があって、会社員でも海外駐在をしていたので、そこのハードルは低かったかもしれません。これまで唯一行ったことがなかったのがアフリカだったので、ツアーであれば色々とアレンジしてもらえるし、アフリカに行く良いチャンスだなというくらいの気持ちでした。これまでボランティアをしたことはなかったし、むしろ偽善ぽくて苦手だな、と思っていたくらいだったのですが、マンネリ化した毎日の中で、価値観が変わる何かがあるかもしれないという好奇心を大事に、行ってみることにしました。

−実際に行ってみていかがでしたか。

滞在したのは5日間だけでしたが、人生を変えるほどの衝撃がありました。ウガンダでは1986年まで政府軍と反政府軍の内戦があり、子どもたちまで少年兵として戦争に参加させられていました。8歳くらいの幼少期に拉致され、家族や友人を殺すように言われ、戦争で銃弾を浴びる。母親の腕を切り落とせと命令された子もいます。内戦が終わっても、家族や友人を殺した子どもたちはコミュニティに戻れないし、教育を受けていないため就職もできません。そういった子どもたちのための職業訓練を行っている施設に訪れて、彼らの姿が私の身体の細胞レベルにまで刻み込まれる感覚がありました。暖かいベッドで寝られて、美味しいご飯が食べられる日本はいかに恵まれているかを知りましたし、私は恵まれた日本で生まれ育ったのに、惰性があったり、小さいことで悩んでいたりするのが恥ずかしくなりました。日本に帰ってきてからも世界の不平等さを実感して悔しくて、大泣きしました。

世界平和を実現させるため、漫画家に?!

−そこからどのように行動されていったのでしょうか。

自分ができることは全てやろうと決意し、ドネーションツアーの運営に携わったり、コンゴ民主共和国に学校を建てたりしました。今年の10月には、スリランカでのチャリティー花火大会を企画しています。それから、もっと世界平和のための事業を行う会社を作りたいと思っています。学校支援の現場を見て改めて思ったのは、慈善活動をしましょう、寄付をしましょうと呼びかけても、なかなかお金は集まらないということ。寄付を目的にするのではなく、儲かるから、ただ楽しいからと参加したら、勝手にそれが寄付に繋がり、お礼が届く…マーケティングの知見を活かして、もっと気軽に、社会貢献に参加する人を増やすことができるのではないかと思っています。

−確かにそれは良さそうです。ただ今までずっと解決されていない課題でもあり、難易度も高いように思えます。具体的にどのようなことを考えているのですか?

キャラクタービジネスに着目しました。ちいかわやおぱんちゅうさぎなど、今や日本のキャラクターは世界中で人気を集めており、関連グッズによる収益は莫大です。こういったエンターテイメントの力を使って、その売上の一部を寄付に繋げられないかと思いました。今オリジナルキャラクターを作るため、漫画を作成しているところです。

−なるほど。キャラクター制作や漫画はどなたかにご依頼して作っているのですか?

いえ、今私が書いているところです。

−えっ酒向さんご自身が書いているのですか?!

そうなんです。実は子どもの頃に漫画家になりたかった時期もあったので、漫画家さんに弟子入りしながら日々書いています。プロに頼んだ方が良いかもしれないけれど、私がやる方が後々自由が効くことも多いと思ったんです。この事業が成功するまでにどのくらいの時間がかかるか分からないし、本当に売れるかも分からないけれど、でもこれはやりたいことなので、最後までやりきろうと決意しています。

−マーケティングのお仕事をしながら漫画を書くというのはまた大変そうですが…どのようにバランスを取っていますか?

マーケティングの仕事は時間も場所も問わないし、短い時間でも収益を生み出すことが出来るので、そこに悩んだことはあまりないです。オンラインで見てもらえるマーケティングコンテンツを運用して、安定的に収入が入るようにしています。今は副業で自分のビジネスを作りたい人や、SNSでサービスを発信したい人が多いので、そういった人に向けてのコンテンツです。コンテンツの内容を作り込んでおけば、ある程度の収入は毎月見込めます。

日常生活から一歩踏み出さなければ、人生は変わらない

着用しているパンツは、アフリカの伝統的な布地を使い、ウガンダの職業訓練校の卒業生たちが製作したもの。

−これまでスキルを磨いてきたからこそ、やりたいことにチャレンジ出来ているのですね。酒向さんは誰もロールモデルのいない道を歩くことに不安はないのでしょうか。

むしろそれが面白いし、楽しんでいます。私はいつも新しい刺激を受けることが好きなんです。商社で働いていた頃はまさか自分が漫画を書くことになるとは思わなかったけれど、小さい頃になりたかった漫画家にもなれるなんて面白いなと。
会社員の時はリスク分析をやっていて、どうしても何をするにしてもリスクを見ていました。会社を辞める時も不安だったのですが、外の世界に出てみてからは、どうなっても生きていけると思えて、楽しめるようになりました。

−外の世界に出てから思考が変わったのは、なぜだと思いますか。

周囲の友人は起業した経営者が多く、「やりたいけれどどうしようかな」と迷うよりも、「どうやったら出来るかな」と思考して動く人が多いです。もちろん時には痛い目を見ているのですが、それでも結局辞めなかった人が形にする。その姿を見ていると、ブレーキを踏む理由はないと思わされました。

−周囲の環境や、出会う人も大事ですね。

本当にそう思いますし、私は人に恵まれていると思います。ドネーションツアーに参加して寄付をするような人たちは、「どうやったらこの世界は良くなるのか」という視点で会話をします。そういう人たちと常に会っていると、自分も自動的にそういった思考に引っ張られていきますよね。

−自分の思考を変えてくれる人たちに巡り会うためには、何をしたら良いでしょうか。

日常生活の外に出る、これに尽きると思います。今までと同じことをして、同じ生活圏にいながら、人生が変わることを期待するって矛盾していると思うんです。一歩外に踏み出してみたら、ハズレもあるかもしれないけれど、超当たりもあるかもしれません。私は一歩踏み出したことで、人生が大きく変わりました。

−10年後、どのような人になっていたいですか。

人としては、愛の大きい人になっていたいですね。世界平和の活動をしていると、目の前の損得より、仲間の応援を全力でするような人に出会います。そういう器の大きい人になりたいです。

私は世界平和というのは、途上国支援ではないと思っています。全ての人が自分のやりたいことをやって、それで社会に貢献して、遊ぶように楽しく豊かに、愛を持って生きられる世界こそが、世界平和だと思うんです。自分の能力やスキルを活かして誰かに貢献して感謝される、そういったことをしている人は皆さん素敵だし、世界平和に繋がっていると思います。世界平和はどこか遠くの国を支援するものではなく、ごく身近にある。そう気づいてもらうことで、世界の「愛の度数」を上げていきたいです。

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