One story
大手住宅メーカーからソフトバンク、中高教諭と多彩なキャリアを経験し、今は夫の実家の寺業とオンラインでのコーチング、CareerBloomでのDivision Directorとしての業務のパラレルキャリアを実現している阪口裕子さん。異色のキャリアを歩む彼女が前向きに決断し続けられる理由とは。
営業が好き。それでも働き方を変えようと決意し、ソフトバンクを退職
−阪口さんは大手住宅メーカーからソフトバンクに転職、その後教師になるという珍しいキャリアを歩まれていますね。まずは大手住宅メーカーやソフトバンクでの経験から教えてください。
住宅メーカーでは営業職としての大変さも楽しさもすべてを教えてもらいました。最初は地元の静岡県の配属で、女性は転勤が出来ない制度となっていたのですが、それでも大学時代を過ごした東京に戻りたかったので、新人賞や若手受注賞など結果を残しながら交渉をし続け、立川支店に異動することが叶いました。でも、なかなか変わらない会社の制度を待っているより、新しいことにチャレンジしたいと思い転職をすることに。ソフトバンクでは東京本社で法人アカウント営業として、鉄鋼業界を担当しました。多数の商材を扱い、スピード感のある業界で奔走する日々。営業という仕事は大好きでしたが、結婚や出産を考えた時に今の働き方では難しいと思い、次の仕事を決めずにソフトバンクを退職しました。
−刺激的で、大好きな仕事を辞めるというのは、色々と考えたことも多かったはず。それでも結婚や出産を優先しようと思われたのはなぜでしょうか。
営業という仕事をある程度経験できた時に、今度は子育てをしてみたいなと思ったんです。子どもから学ぶことってきっとすごくたくさんあるだろうし、やってみないと分からないことばかりだからこそ体験してみたい、という思いが強くて。あとは、当時自分のためだけに頑張ることに疲れていたということもあって、家族のために頑張るということに憧れがあったのかもしれません。守るものや、仕事以外に自分が大事にしたいものができたら、違う世界が広がるだろうなと感じていました。あとは、妊娠や出産を考えたときに年齢のリミットがあるというのも大きかったです。
−次が決まる前に辞めるというのは勇気のいる決断だったと思います。
周囲からもの凄く反対されたのですが、今転職活動をしても、また同じような働き方をする会社に行ってしまうと思ったんです。一度頭の中をクリアにしてから考えたくて、まず辞めるという決断をしました。
−辞めてからはどのように過ごされたのですか?
働いている時には土日に遠出する体力がなかったので、海外旅行に行ったり、地方にいる友達に会いに行ったりして過ごしました。目覚ましをかけずに寝るとか、朝からヨガをやるとか、会社員の時には出来なかったことを片っ端からやりましたね。でも2ヶ月くらい経つと、何の組織にも属していない自分というのが怖くなってきて…次に何をしようかと考え始めた時、教員免許を持っていたことと、父が教師をしていたことで、教諭という仕事に関心を持つようになりました。
営業と教諭には共通項がある?教師生活で見えてきたこと
−なぜ教師という仕事に興味を持たれたのでしょうか。
現役教師の父から“絶対教師に向いている”とずっと言われていたのですが、私は教師というと「真面目で規則を守れる人」「勉強をちゃんと教えられる人」というイメージがあって、自分には合わないと思っていたんです。でも父に“勉強を教えるだけが教師じゃないよ”と言われて、社会に出てからの私の様々な経験を子どもたちに教えられたら良いかもしれないと思うようになりました。
−それで教師として再就職されたのですね。
臨時教員の講師登録をしたところ、翌日に地元の静岡の中高一貫校から連絡が来ました。それで学校に面接に行ってみたら、なんとそこに私が中学生の時に教わっていた先生がいらっしゃって。とても仲の良い先生だったので、すぐにその学校で働くことになりました。
−初めての教師生活、いかがでしたか。
中学1年生の担当だったのですが、みんなとてもピュアで可愛くて、毎日学校に行くのが楽しみでした。それに営業と教師って全く異なる職種に見えて、共通していることも多いと気づいたんです。相手にどう分かりやすく伝えるか、相手が欲しい情報をどう与えるかを考えるのも大事だし、そこには信頼関係が欠かせません。子どもたちは本音でぶつかってきてくれるので、それも嬉しくて、本当に貴重な経験が出来ました。その時は臨時講師として半年ほどの勤務だったので、本格的に教師として働くことを視野に入れ、神戸の高校に赴任しました。
−なぜ神戸だったのでしょうか。
採用試験に社会人採用枠があったというのと、妹が関西に住んでいたこと、出張で関西によく行っていたこともあったので、親しみがありました。それにのんびりしたところで生まれ育ったので、東京で子育てをするというのは想像できなくて。ベビーカーで満員電車には乗れないなぁとか、暮らし方のことも考えました。
−神戸での教師生活は順調に進んだのでしょうか。
初めての関西での生活は、最初は戸惑ってばかりでした。子どもたちに“その話のオチどこ?”と言われたり、“先生って東京弁やな”と言われたりして、カルチャーショックを感じました。でも時間と共にどんどん仲良くなって、教育の世界にものめりこみ、とても充実した毎日を過ごすことが出来ました。その後結婚をして長男を授かり、2年間の育休に入ったのですが、そこで少しエネルギーを持て余してしまって…何かしたいなと思い、アロマテラピーやリトミックの資格を取ったり、月に2回ママ会の企画運営をしてみたり、アクティブに過ごしました。その後次男を妊娠中、夫が実家の寺業を継ぐことになり、お寺のある大阪に家族で引っ越すことになりました。
複数の居場所を持つことで、どれも全力で向き合おうと思える
−教師を辞めるということ、住む場所が変わることに戸惑いはなかったですか。
最初はなかったです。今まで職種が変わること、住む場所が変わることは経験してきたので、また新しいことが出来て楽しみだなと思っていました。でもソフトバンクから心機一転、せっかく楽しい仕事を見つけたのに、それが奪われることにやるせなさを感じることはありました。それに、“長男の妻が仕事を辞めることは当たり前”のような空気があることや、家族経営であるが故の様々な違いに、大手企業や公務員しか知らなかった私は衝撃を受けました。でも、夫について行くと決めて引越しをしたわけだし、そこで気落ちしていてもしょうがないと気持ちを切り替えました。
−お寺の世界は、今まで経験されてきたキャリアとは全く異なる事業ですよね。
そうですね。特に感じたのはデジタル活用についてで、ソフトバンクでは最先端、ペーパーレス化も進んでいたのが、教師になると大量のプリントがあり、印刷室が大混雑していることに驚きました。コロナ禍でオンライン授業になると、先生からも生徒からもIDがわからない、ログイン方法はどうするんだっけ?と言われて。30年くらい時代が戻った感覚でした。でもお寺ではさらに30年戻って、パソコンもなく、手書きのアドレス帳で管理している世界だったのです。家族がそれぞれ何をしているかスケジュールの共有もされていなくて、月に1回ミーティングをしませんかと提案したら、家族なのに仰々しいと言われてしまう。何もかも、今までの常識が通じない世界でした。
−気が遠くなりそうですが、どのように現状を打開していったのでしょうか。
ミーティングについては、話し合う項目を決めて、それまでにみんなが準備していれば時間のロスを防げるし、伝言ゲームにせずに情報を共有する場を作れば齟齬が生まれなくなるし、そういったことが最終的にはお寺のためになるよね、ということを丁寧に話し合いました。スケジュールも今では携帯で共有できるようにしていて、今後は檀家さんなどの個人情報の管理もクラウド化するためにシステム開発をお願いしています。
−諦めずにやり続けられた理由は何だと思いますか。
実はお寺だけに専念するのではなく、リモートで出来る仕事を探したんです。その時にタイミング良くコーチングに出会いました。コーチングと言うとキャリア志向の高い方や意識の高い方が受けているイメージだったのですが、知り合いがコーチングアカデミーの1期生を募集していて、オンラインで受講することが出来たので、出産と被ってスケジュールは大変だったのですが挑戦してみることにしました。やってみると、「教える」のではなく「伴走する」コーチングは、今まで教師として意識してきたことに共通していて、とてもやりがいを感じました。今ではクライアントとのセッションは大好きな時間です。
今思うと、お寺とは違う居場所を見つけられたのも良かったと思います。子育てでも言葉の通じない赤ちゃんとひたすら向き合う時間しかなくなると、しんどくなってしまう瞬間があるじゃないですか。そういう時に仕事で別の役割があると気分転換になるし、仕事も子育ても限られた時間で、全力で向き合おうと思えます。
−複数の居場所を持っておくと、精神的にも楽になれますよね。今はCareer Bloomで働き、パラレルキャリアを実現しています。
以前から友人だったCareerBloom代表の篠崎から連絡があり、女性のキャリア支援を行う会社を立ち上げるから一緒にやらないかと言われ、まさに自分が直面してきた課題や、やりたかったことだと感じ、ジョインすることになりました。東京に出張することもあり、それが自分の気分転換にもなっています。
ありたい自分の姿を明確にする
−大きなキャリアの転換を行う時に、軸になっていることは何でしょうか。
ありたい自分の姿を明確にするということです。営業の仕事を辞めると決断できたのは、「自分がどうありたいか」にしっかり向き合ったからだと思います。ソフトバンクで働いていた時、昼夜問わず一生懸命働くことは楽しかった一方で、自分にも他人にも厳しかったし、常に時間に追われていたんです。ちょっとした無駄が発生するとイライラしてしまったり、休日の買い物で店員さんの接客に対してテンションが下がってしまったり。私ってこんな性格だったっけ。もっと余裕を持って人を包み込めるような歳の重ね方をしていきたい。そう考えるうちに、環境を変える決断をすることが出来ました。
それに今まで築いてきたキャリアから今は距離をおいたとしても、積み上げてきた基礎は消えないし、別の場所でまたやりがいを見つけられると思っています。
−前向きな決断の裏には、ご自身を信じてあげる気持ちがあるように思います。自己肯定感が低い人も多いと言われる中で、ご自身を信じられるのは何故だと思われますか。
教師やコーチングの仕事で学んだのは、自尊感情を大事にするということです。自己肯定感という言葉には自分の良いところを見つけるという意味合いがありますが、自尊感情は、良いところも悪いところもある自分を認めて、尊重してあげるということ。落ち込むことがあってもそれを切り替えられれば、自分を受け入れてあげられます。自分を信じているというよりも、自分だけの考え方に固執せず、必要以上に卑下しないという方が近いかもしれません。
−思考を切り替えるためにはどうしたら良いのでしょうか。
思考というのは癖があるので、私の場合は悪い方に考えると同じループから抜け出せなくなっていたんですよね。でも癖はトレーニングすれば直せます。例えば資格試験に落ちた時、頭が悪いからだとか、勉強が足りなかったとか、考えてしまいがちですよね。でも落ちて悔しい気持ちをしたからこそ、同じ境遇の人に共感できるようになるし、そもそも仕事をしながら資格試験の勉強を出来る人は多くありません。一つの側面に捉われるのではなく、多角的に見る練習をすると、思考を切り替えやすくなると思います。
−将来、どんな人になりたいですか。
強くて優しいおばあちゃんになりたいです。おおらかに構えていられる人になりたい。そのためにはまだまだ色々な人生経験をしないといけないなと思っています。色々な失敗もして、それでも大丈夫だと思える人になりたいし、子どもたちにもそう言ってあげられる人でいたいです。
子どもたちに背中を見せたいという思いは凄くあって。家族が代々寺業をしているので、自分も継がなきゃいけないのかなとか、考え方が縛られるときがどうしてもやってくると思うんです。でも私がこの環境で好きなことを見つけて生き生きと働く姿を見せることで、“自分には無限の可能性があって、それに全力で向かっていっていいんだ!”と思って欲しい。自分の子どもだけでなく、広く子どもたちの世代に対しても、そんな背中を見せていけたらと思っています。