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華やかなファッション誌編集者キャリアの裏にある葛藤と決意

華やかなファッション誌編集者キャリアの裏にある葛藤と決意

髙田 彩葉さん
髙田 彩葉(たかだ あやは)さん
慶應義塾大学在学中から光文社『JJ』編集部に学生ライターとして参加。新卒で光文社に入社し、『JJ』編集部、『VERY』編集部で雑誌編集に携わる。2024年に株式会社ベイクルーズに転職、デジタルマーケティングに携わったのち、2025年春にフリーの編集者として独立。(Instagram:@ayaha_takada)

雑誌編集に携わったのち、デジタルマーケティングの道へ。現在はフリーの編集者として独立し、ライフスタイルブランド「Pasand by ne Quittez pas(パサンド バイ ヌキテパ)」のオウンドメディアの編集長業務を中心に、様々なブランドの撮影ディレクションや記事執筆などを行っています。華やかなキャリアに見える髙田さんですが、多忙な日々の中で体調を崩し、ご自身のキャリアとワークライフバランスを考える時期もあったと言います。彼女はどのように自分らしいキャリアを実現したのでしょうか。

ファッション誌に恋した少女が叶えた夢

−まずは髙田さんのキャリアについて簡単に教えてください。

大学在学時から光文社でファッション誌『JJ』の学生ライターとして働き、そのまま光文社に新卒入社しました。入社後は『JJ』編集部、『VERY』編集部で働いたのち、2024年に株式会社ベイクルーズに転職。デジタルマーケティング職を経て、2025年春にフリーランスの編集者として独立しました。現在は、ライフスタイルブランド「Pasand by ne Quittez pas(パサンド バイ ヌキテパ)」のオウンドメディア編集長業務を中心に、様々なブランドの撮影ディレクションや記事執筆などを行っています。

−大学生の頃、学生ライターとして働いたのはなぜでしょうか。

小学校3年生の頃からファッション誌の編集部で働くことが夢だったんです。私が学生の頃は『Seventeen』などの雑誌が流行していて、私は特にモデルの鈴木 えみさんが憧れでした。彼女が当時、『PINKY』という雑誌のカバーを飾っていたのですが、その雑誌を読む時間が本当に幸せで。雑誌はその世界観に没入できる魅力がありますし、私もこんなふうに誰かを幸せにするものを作れる人になりたいと思うようになりました。

−小学校3年生から!そこから想いはぶれなかったのですね。

そうですね。そこにあるだけだと価値が分からないものでも、企画の切り口や見せ方次第でその価値を無限大に広げられる「編集」という仕事に凄く惹かれました。信頼する雑誌が紹介するからこそ興味を持ったり、面白いと感じたりするものがたくさんあって、この世界観を作れたらどれだけ楽しいだろうと思っていたので、大学生になってすぐに学生ライターに応募しました。

−学生ライターはどのような仕事をされるのでしょうか。

大学生だった私は『JJ』読者層のど真ん中だったので、おしゃれな友達をたくさんリサーチして、今大学生たちの間で何が流行っているのか、何に夢中になっているのか、企画の元になるようなネタ出しをしていました。その他にも編集アシスタントとして、撮影現場のサポートや、撮影で使用する服やコスメの準備をしていました。大変だったのはコスメの返却で、何千個もあるコスメをブランドごとに仕分けて返却するため、夜遅くまで作業をしていました。

−憧れの編集部での仕事を掴んだ一方で、仕事の厳しさを感じられる場面もあったのではないでしょうか。

現場は厳しいなと思うことはありました。編集部はとにかく忙しいので、受け身で待っているだけでは仕事が来ず、主体性が求められました。一時は心が折れそうになったのですが、既に社会人だった姉に「掃除でも雑誌の整理でも良いから何かやっていれば、声をかけてもらえるかもしれないから、とりあえずオフィスに行ってみなよ」とアドバイスをもらい、とにかくフットワーク軽く編集部に通っていたら、「ちょっとこの企画に意見くれない?」「コスメ返却してきてくれる?」と徐々に仕事をもらえるようになりました。

−大学生のうちから行動して、自ら仕事を掴めるなんて素晴らしいですね。

姉のおかげです。アシスタント業務を続けるうちに、段々と記事を書くチャンスもいただけるようになり、アシスタント料とは別に原稿料が発生するようになりました。学生でもそうやってライターとしてお仕事をいただけたことが大きな自信に繋がりましたし、雑誌のクレジットに自分の名前が入って本屋さんに並ぶ喜びはとても大きかったです。このままここで働きたいという想いが強くなって、入社しました。

巻頭特集を担当、自分の企画が通る喜び

−編集部で働いた中で、印象に残っていることはありますか。

少数精鋭の編集部だったので、入社後すぐに企画を任せていただきました。いきなり自分の企画を1人で進行するというのはプレッシャーも大きかったですが、その分やりがいも大きかったです。入社2年目で、『JJ』の巻頭特集を任せていただきました。当時はコロナ禍だったので「こんな時こそアガる♡買い物がしたい」という特集を組みました。自分が憧れの雑誌の編集部で巻頭特集を担当できるなんて、本当に夢のようでした。

−毎月企画を出すのは大変ではなかったですか。

はい。ただその中でも、次の号の内容を決める企画会議を私は一番大事にしていました。というのも、尊敬する方から「企画会議が命!」と教えてもらったからです。自分が本当に面白いと思う企画が会議で通れば、自分が本当にやりたい仕事を自分でつくることができます。そういう肝入りの企画は、自然とどこまでも深く追究するので、結果的にページのクオリティが上がり、信頼度も上がっていく。いい循環が生まれます。だから企画会議には全力で挑むようにしていましたし、そこから調子が良くなりました。

−良い企画を出すためにどんなことをされていましたか。

インプットの量をとにかく増やしました。机の上で悶々と考えていても、自分の中に情報がなければ新しいものは生まれません。なので、実際に色々な場所に訪れたり、人と会って話を聞いたり、自分の足でネタを掴みにいくようにしていました。自分で現場に訪れると、ネットやSNSで見ただけでは分からない深い情報や人の感情の機微が見え、アイデアが湧いてくるようになりました。また、どんなに忙しくても読者の方とランチやお茶をしながらゆっくりお話しをする時間も確保するように心掛けていました。

周囲の期待と自分自身の声−一度立ち止まってみて気づいたこと

−雑誌の制作は体力勝負の現場だとも聞きますが、体力的な厳しさはいかがでしたか。

とても大変でした。自分の出した企画がたくさん通ってページ数が増えることが、編集者としての喜びだったのですが、一方でページ数が増えれば増えるほど仕事が増えるので、どんどん時間がなくなっていきます。夜中まで作業をして、朝から一日撮影をして、また作業に戻る、という日も多く、体調を崩してしまうこともありました。当時は雑誌の編集が本当に楽しくて、自分のケアに気が回らないほど雑誌の世界に没入し過ぎてしまっていたという反省があります。期待に応えたいという気持ちも強くて、自分がどうしたいかより周囲の反応を気にするようにもなっていました。

−その時どのようなことを考え、行動されましたか。

一度立ち止まり、周囲からの期待ではなく、自分自身が本当にしたいことは何なのかを考えました。少し俯瞰して雑誌業界を見た時、自分が雑誌に夢中になっていた小学生の頃と比べると、SNSの発達に伴い日常的に紙の雑誌を読む人が減っていくのを感じました。街角のスナップ撮影に行っても、ファッションの参考に見るのはSNSがほとんどという若い子が多く、凄く残念に思っていたんです。卸先である本屋さんも減っていき、危機感を感じるようになりました。周囲には尊敬する編集者の先輩がたくさんいて、本当に素敵で、信頼できるページを作っているのに、それが届きづらくなっている。そういった業界の流れを見た時に、もっと時代に合う雑誌のやり方を考えられないだろうか、と思うようになりました。そのためにまずは外の世界に出て、色々なことを学んでみたいと思い転職を決めました。

−雑誌への想いを持ちながら、事業会社への転職だったのですね。

はい、今でも雑誌への想いは持ち続けています。転職してECやWEB媒体に携わってみると、自分が作った企画に対して何人が見たのか、どんな商品を買ったかまで詳細の数字が見られて、新たなやりがいになりました。今まではどのくらい自分の企画に対して反響があったのか詳細には見えなかったので、数字が全部見えるWEBの面白さを知りました。

フリーランス編集者という新たな挑戦へ

−そして現在は、フリーランスで活躍されています。

自分の名前で仕事ができる編集者になりたいという想いは昔からあったんです。会社員時代にも何度か声をかけていただいたことはあったのですが、副業ができなかったので、お受けできないことも。その後、大きなチャンスを複数いただいたタイミングがあり、「挑戦するなら今だ!」と思い、独立を決めました。

−不安はありませんでしたか?

凄くありました。実は以前もフリーランスになることを考えた時期がありました。でも家族に反対されて、大喧嘩に。話しているうちに自分の考えが足りていないことに気づき、そのタイミングでは独立しませんでした。その後、時を経て具体的なお取引先とのご縁を複数いただいたので、家族を説得し、自分も納得して独立することができました。

−編集長という立場での仕事は初めての経験だと思いますが、いかがですか。

仕事の範囲が広がる面白さを感じる一方で、難しさも日々感じています。いち編集者としてコンテンツを作ることはずっとやってきたことですが、編集長は点でものを見るのではなく、広い視野で未来を描くことも求められます。そこは新たな挑戦なので、日々、試行錯誤を重ねています。

−フリーランスは自由に見えて、自分で仕事を獲得し続けなければならない厳しさもあります。フリーランスとして働く上で、心がけていることはありますか。

会社員として働いていた当時は、編集者の先輩や同僚がたくさんいて、時に厳しい言葉をかけてくれることもありました。だからこそ甘えられることもあったと思うのですが、今は自分の出す成果物が全てです。自分の成長が止まらないようにということを心がけています。

−成長を止めないように意識していることはありますか。

まずは生活を整えて、心身ともに良い状態の自分をキープすること。それがパフォーマンスを上げるためにも大切です。心身の土台を整えた上で、とにかく新しいクリエイティブを見てインプットをし続けるようにしています。旅に出たり、色々な服を買ってみたり、素敵なホテルに泊まってみたり、イベントや展覧会に行ってみたり。自分が本当に惹かれるものや美しいと感じるものは日常生活の中で自然と探求し続けているのですが、そういう純粋な好奇心を特に大切にしています。そこからアイデアが生まれることも多いです。

湘南で見つけた新たな居場所と、父との絆

−現在は東京から湘南に引っ越されているのですよね。ライフスタイルの変化についてもお聞かせいただけますか。

2024年の1月に、湘南に引っ越しました。自分の人生について改めて考えた時に、自然と海に引き寄せられていたんです。社会人になってから海とは無縁の生活だったのですが、幼少期に鎌倉の別荘に通っていて、サーファーの父とよく海で過ごしていたので、その記憶が自分の奥底にあったのかもしれません。実は私が23歳の時に父を癌で亡くしていて、当時はあまりに突然のことで受け入れられなかったのですが、海にいると「サーフィンをしている自分を父も喜んでくれるんじゃないか」と感じるようになりました。亡くなった父と新たな関係を築けるような気がして、海が心地よい場所になりました。また、海で出会うサーファーのみなさんは海のエネルギーをたくさん持っていて魅力的な方ばかり。自分がより自然体でいられる、大切な場所です。

−東京での仕事は湘南から通っていらっしゃるのでしょうか。

基本的に平日は東京の実家で暮らしていて、週末に湘南で過ごすようにしています。湘南にはとても緩やかな空気が流れていて、帰ってくると仕事中にせかせかしていた気持ちがフワ〜っとほぐれていく感覚があります。今までは「やれるところまで頑張ろう」「限界なんてない」と思ってがむしゃらに働いてきて、その経験があったからこそ今のキャリアに繋がっていることもたくさんあるのですが、やっぱりそればかりでは難しい瞬間があるということを知りました。自分が海で気力と体力を取り戻す時間を持つことや、仕事とは別の世界を持つことが、仕事においても良いパフォーマンスに繋がると思いますし、持続可能な自分に繋がると思います。湘南↔︎東京の移動中は、よく雑誌を読んでいます。今、夢中になっている海や旅がテーマのものを読むことが多く、雑誌が大好きだという気持ちを改めて実感します。

「編集者・髙田彩葉」として目指すこと

−これまでのキャリアで何かの選択に迫られた時、どんなことを大切にされてきましたか。

いつも大事にしているのは、自分の直感に嘘をつかないこと。迷いや不安があるとどうしてもできない理由や言い訳が出てきてしまいますが、本当にやりたいことであれば、自分に制限をかけず、まずはトライしてみるようにしています。それで痛い目に遭ったこともたくさんありますが…それも次に進む糧にしようと考えています。

−編集者として大切にされていることは何でしょうか。

「客観的に見て、素敵かどうか」を大切にしています。当たり前のように思えますが、どうしてもクライアントからの条件や予算などもあると企画を引いてみることが出来なくなっていきます。でもその企画を見た時に、読者の方が素敵だと思って心が動くかどうかが根本であり大事だと思っているので、「本当にこれって素敵かな?面白いかな?」と引いて考える視点は忘れないようにしています。

−今後のキャリアの目標を教えてください。

大きな目標は、大好きな雑誌がどうやったら新しい時代に合う形で成立させられるのかを考え、そのコンテンツで多くの人を幸せにすることです。その答えはまだ見つかっていないですが、これからも模索し続けたいと思います。個人的には、今はフリーランスで仕事をしているとは言え、今までのキャリアから信頼をいただいていることが多く、「編集者・髙田彩葉」としてはまだまだ未熟だと思います。「あの編集部にいた髙田さん」ではなく、「あの髙田さんに頼みたい」と思ってもらえる編集者になれるよう、日々成長し続け、新しい価値を生み出せる人になりたいです。

撮影時に着用したワンピースは、ne Quittez pas(ヌキテパ)のもの。インドのコットンは驚くほど肌触りがよく、一度着るとやみつきに。海上がりにも楽ちんで映えるのでよく着ています。COTTON JAQUARD LILY PRINT FLARE DRESS(※室内で着用)¥35,200、COTTON VOILE STRIPE WAIST GATHER DRESS(※海で着用)¥29,700(ともにne Quittez pas)HP:https://nequittezpas.jp/
バッグは、スタイリスト佐藤佳菜子さんのboutique310で購入したMAISON CANAUのBOX BOSTON 。(Instagram:@boutique310__)ポーチはロンドンのFortnum&Masonで購入したElizabeth Scarlettのポーチ。Bottega Venetaのメガネ、サーフブランドSEA BROTHERs(Instagram:@seabrothers.jpn)のキーチャーム、TOM FORD BEAUTYのリップ、Diorのお財布、MacBook AirとiPad。

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